ゴッホは目ではなく心でみつめていた? ありのままの色で描かれなかった理由 #7

ゴッホは目ではなく心でみつめていた? ありのままの色で描かれなかった理由 #7

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「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回はゴッホの絵から、「心の目でみつめること」について考えます。

こんにちは。美術教師の末永幸歩です。
物事を新たな角度でみつめ直す「アート思考のレッスン」へようこそ。

今回取り上げるのは、ゴッホによる一枚の絵。彼自身が「一番良くできた」と称す、『ファンゴッホの寝室』です。

ファンゴッホの寝室(第1バージョン)=フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年、<a href="https://www.vangoghmuseum.nl/en/collection/s0047V1962">ゴッホ美術館蔵</a>
ファンゴッホの寝室(第1バージョン)=フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年、ゴッホ美術館蔵

有名な絵なので、目にしたことがあるという方も多いと思います。

ここではこの作品を、「アート思考」の切り口で考えていきたいと思います。

色とりどりで描かれたゴッホの部屋 実際は違った?

この絵で描かれている部屋は、オランダで生まれ育ったゴッホが南フランスに移住し、新生活を始めたばかりのころ、彼が実際に住んでいた家の寝室です。

なんの変哲もない単調な部屋の光景のようにも見えます。ですが、よく見てみると随分と派手な配色の部屋であることがわかりますよね。

ファンゴッホの寝室(第1バージョン)=フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年、<a href="https://www.vangoghmuseum.nl/en/collection/s0047V1962">ゴッホ美術館蔵</a>
ファンゴッホの寝室(第1バージョン)=フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年、ゴッホ美術館蔵

たとえば、ベッドシーツや枕は黄一色。その上には真っ赤なブランケットが乗っています。

さらに、壁やドアは青紫色、イスは黄色と黄緑色に見えますよね。

しかし実際のところ、ゴッホの部屋にあった家具は、このような色をしていなかったようなのです。

というのも、ゴッホが弟に宛てて、この絵の構想を書いた手紙では、

「……壁は薄い紫色、床は褪(あ)せたような粗い赤茶、イスと寝台はクローム・イエロー、枕と敷布は薄緑がかったレモン色、毛布は血のような赤、化粧テーブルはオレンジ、洗面器は青、窓枠は緑」

 

と、1つ1つのものを何色で描くかということについて、事細かに計画を書きあらわしているのです。

ここで想像してみてください。目の前に実在するものを、色をつけて描く場合、どのような色をつけますか?

多くの方が、「目に映っている実物の色」を塗ろうとするのではないでしょうか。

たとえば、真っ赤なリンゴを前にして絵を描く場合、「さて、リンゴは何色にしようかな」「薄紫にしようかな」とは、あまり考えませんよね。

それとは対照的に、ゴッホの手紙からは、彼が「目に映るとおりの色を塗ろう」ということはまったく考えていなかったということが伺えます。

心で感じた世界を描いたゴッホ

それでは一体なぜ、ゴッホはありのままの色で描かなかったのでしょうか?

ここには、目の前にあるものを「どのようにみつめるのか?」ということが関わっています。

もしもあなたが、目の前にある赤いリンゴを、赤い絵の具で表現するのであれば、それは「目でみつめる」という方法を無意識に採用していたということになります。

一方でゴッホは、「心でみつめる」ということをしていました。

ゴッホは、自分の心の目を通して感じとった世界を表現するために、また、絵を見る人に感じてもらいたいことをもとに、色を自在に選んでいたのです。

同様に、多くのゴッホ作品にみられる「波打つような筆使い」もまた、心の目でみつめた世界を描き表すためのものでした。

ゴッホは、「心の目」を通してみつめたものを描き続けた画家だったのです。

わびしい公園で遊ぶ子どもたち。でもとても楽しそう。なぜ?

ゴッホの話からは逸れますが、私の自宅のすぐ近くに小さな公園があります。
砂利が敷かれ、簡素なブランコとすべり台、そしてベンチがあるというだけの、無機質な公園です。

その公園で、6歳程度の子どもたち数人がなにやらとても楽しそうに遊んでいるのを見かけました。母親たちが「そろそろ帰るよ」と何度声をかけても、その子どもたちは「まだ帰りたくない!」と夢中で遊び続けています。

公園の片隅にあるほんのわずかなスペースに、枯れた芝が無造作に寄せ集められていたのですが、その子どもたちにとってはそこが格好の遊び場になっていたようでした。

芝をかき集めたり、運んだり、丸めたり、投げたり……と、遊びが尽きることがありません。

思い返してみると、私も子どもの頃それに似た経験をしていました。

当時住んでいた家の裏に農家の畑があったのですが、ある朝、その一角に当時の私の身長よりも高い砂の山ができていたのです。その山に登ったり、転がったり、穴を掘ったり、隠れたりと、まるで冒険をしているかのようなワクワクした気持ちで、一日中遊んでいたことを覚えています。

公園の片隅で遊ぶ子どもたちの「心の目」に映っていたのは、私の目に映っていた無機質でわびしい公園とは、まったく違う世界であったのかもしれません。目の前の世界を「心の目」でみつめてみると、「視覚」で見るときとは、まったく違った光景が広がります。

ゴッホや子どもたちが教えてくれた「心でみつめる」というものの見方は、物事を新たな角度でみつめ直す「アート思考」につながるのではないでしょうか。

 

(このコラムは月1回掲載予定です)

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