誰も知らなかった「会社」という言葉
みなさんは歴史を振り返ったことがありますか。
義務教育で受けた歴史の授業というのは、単に「年代や用語を覚える作業」という感じで面白くなかったかもしれません。
しかし歴史というのは、勝者に歪曲された部分も否めないとはいえ、示唆に富んでいます。
人間の脳の構造、欲望、行動様式というのは、数百年ではたいして変わらないでしょうから、学べることが多々あるのです。
昭和の日本人の暮らしを克明に描いた書籍「花森安治選集」(暮しの手帖社)にはこんな描写があります。
“昭和12年そのころ、同級生と会うと「会社」という言葉が出た。誰もどんなところか知らなかったがとてもいいところらしかった”
1937年はこうだったのです。
時代とともに、「働く」という概念は大きく変化していることがわかると思います。
「なんかよくわからないけど、とりあえず有名企業、給料の高い企業に入ろう」という考えで、所属先の企業で働いている方も中にはいらっしゃるかもしれません。
ただ、私は「働く」ことと「興味ある活動」には、切っても切り離せない重要な接点があると思っています。
先ほども述べたように、興味ある活動であれば、働いているとも感じなければ、やらされているとも感じなければ、ストレスも感じにくいです。
私自身、そう実感しています。
「『興味ある活動を追求するという働き方』を実現しやすくする手段の1つとしてFIREがある」と理解いただければ、FIREの概念がつかみやすいと思います。
つまり、もともと「興味ある活動」が、いわゆる「仕事」になっている人は、すでに「職業の道楽化」が達成されており、そもそもFIRE(経済的自由を達成し、人生の選択肢を増やす)をめざす必要はないかもしれません。
FIREでなぜ好循環が生まれるか
人間、興味ある活動をしている時は生き生きしていて、言われなくとも習熟をいとわず、結果的に人よりも詳しかったり秀でたりしやすいですね。
すると、ますますモチベーションも上がります。
まさに、よい循環です。
適材適所、個々人が能力を最大限に生かせれば、社会にとっても好ましいことではないでしょうか。
FIREは従来のセミリタイアとは概念や時代背景が異なり、働かないことを意味するわけではありません。
好きなことを追求したり、職業の道楽化につなげたりする手段の1つ、ひいては適材適所にもつながり得る。
そんな大枠を理解いただけたのではないかと思います。
人間は「社会性のある動物」だと私は考えています。
誰かの役に立ったり、感謝されたり、笑ってもらえたりすると、うれしくなるものです。
好きなことを追求し、興味の持てることを仕事にすることで、結果的に誰かの役に立てれば、豊かな人生、豊かな社会にも資するのではないでしょうか。
(このコラムは月1回掲載予定です)