博報堂をやめてニュースの作り手へ。ハフポスト日本版・南麻理江の「自分のものさし」で人生を切り開く方法

博報堂をやめてニュースの作り手へ。ハフポスト日本版・南麻理江の「自分のものさし」で人生を切り開く方法

キャリア

「会話を生み出す国際メディア」を掲げるウェブメディア「ハフポスト日本版」のエディター(記者・編集者)で、ライブ配信番組「ハフライブ」でメインパーソナリティーを務める南麻理江さん(34)は、大手広告代理店出身。新卒で入った博報堂では、メディアや企業と向き合い、広告のプランニングをしたり、消費者の行動データに基づいたデジタルマーケティングを担当したりしていました。なぜ、広告代理店からエディターへと転身したのか? 決断にいたった思いや、新たなキャリアを切り開くヒントを聞きました。

変化の大きな時代に生きる私たちの働き方はより柔軟になりつつあります。あなたは、どう働く? そのヒントとなりうる、新たな分野に“転身”して活躍する方々のいまを伝える企画です。

「高橋まつりさんは、私だったかもしれない」

――新卒で2011年に博報堂に入社しました。2017年にハフポスト日本版に転じ、ニュースエディターとなりました。なぜ、記者に転身しようと思われたのでしょうか?

理由は10個、100個......たくさんあります。劇的なストーリーや運命的な出会い、挫折など、「これ!」というたった1つのきっかけがあったというわけではなくて、言葉になっていない色んな理由が塊になって、くよくよと悩んでいた時期が1年くらいありました。

その時期にすごく考え抜いたからこそ、きたるべきときにポンと転身できたと思っています。

いま振り返ると、そのたくさんあった理由のなかでも、一番大きかったのが、「もっとダイレクトに、社会課題にアプローチしたい」という気持ちが芽生えてきたことだったと思います。

ハフポスト日本版の南麻理江さん=竹下由佳撮影
ハフポスト日本版の南麻理江さん=竹下由佳撮影

私がハフポストに転職したのは、2017年5月。

その半年ほど前の2016年秋、電通社員だった高橋まつりさんの自殺が「長時間の過重労働が原因だった」として労災認定されたというニュースがありました。

報道で知る範囲のことしかわかりませんでしたが、まつりさんは当時、私が博報堂に入社してはじめの2、3年間やっていた仕事と似たような仕事をされていたといいます。

報道をきっかけに、しばらく連絡をとっていなかった友人たちからも「大丈夫?」と心配する連絡をたくさんもらいました。

最初は、「自分とは関係ないニュースの中の話」だと感じていましたが、だんだんと「まつりさんは、私だったかもしれない」「自分はこうやって生きていて、まつりさんが亡くなったのはなぜなのか」と考えるようになりました。

もちろん個別の状況はそれぞれ大きく違っていて、安易に重ねて考えるべきではないですし、まつりさんの痛みや苦しみは計り知れません、

しかし背景にある、組織の問題や社会の問題は、まつりさん個人の話ではないと思いました。ある種、社会に命を奪われた部分もあるんじゃないか、と。

「社会構造のゆがみで人は死ぬ」ということに気づいて、そこにダイレクトにアプローチする仕事をしたいと思い始めました。ニュースを見てここまで身につまされて、「私だったかもしれない」と感じたのは、初めてのことだったかもしれません。こう感じたのは私だけじゃないと思います。それくらい、当時の私たちにとって衝撃でした。

その直後の2017年1月には、アメリカでトランプ氏が大統領に就任しました。イギリスがEU(欧州連合)から離脱する「ブレグジット」もその半年ほど前の2016年6月、国民投票で賛成多数に。世界的に大きな出来事が2回続きました。

アメリカのトランプ前大統領=朝日新聞社
アメリカのトランプ前大統領=朝日新聞社

海外の政治ニュースもインターネットでリアルタイムに追える時代です。当初、「トランプ氏は勝つわけない」と思っていたので、Facebookのタイムラインが余裕ムードからだんだんと怪しい雲行きになっていく変化を見ていて、「世の中が変な方に向かっているのではないか」と感じました。

そして、それが「変だ」と感じる自分も偏っているのではないか。自分の見ている世界は狭いのではないか。そう感じるようになり、すごく怖くなりました。

まつりさんのことや世界で起きていること。当時はつなげて考えられたかどうかわかりませんが、もっとちゃんと問題が起きている現場に向き合いたいと強く思ったのは間違いありません。

30歳を前に、「次の10年をどうやって生きる」?

転職をしたのは、「もうすぐ30歳」というタイミングでした。

20代の10年間のうち、博報堂で6年間働いてきて、「次の10年をどうやって生きようかな」と28歳、29歳ごろからすごく考えるようになっていました。

これは博報堂の誰かを責めるわけではなく、構造上の問題として、やっぱり“女性社員としての居心地の悪さ”のようなものも、感じていたんだろうと思います。

新卒で入社した20代前半は、すごくがむしゃらでした。先輩に褒められたり、クライアントが喜んでくれたりすることがすごく嬉しかったですし、それがモチベーションになっていました。

でも、4年、5年とキャリアを積んで、裁量もちょっとずつ持たせてもらうようになると、それまで目の前の仕事に向き合っていたのが、1年先、3年先、10年先と、少し長い時間軸で物事を考えるようになって。

「40歳で博報堂にいると、どんな自分になってるのかな」と考えたとき、ロールモデルがあまりに少ないことに気づいて、ショックでした。

博報堂の先輩・同僚はみんな本当に気さくで、真剣に仕事と向き合う人たちばかりで、尊敬していました。けれど、チームのリーダー、部長、局長と、見渡せば男性が圧倒的多数。

当時は「男性ばかりだな」とはっきり思ってすらいなかった気がしますが、ハフポストをはじめ社外を見渡せば女性がマネージャーとして活躍する会社があって、そういう職場に憧れるようになっていたんだと思います。

博報堂のある赤坂Bizタワー=南さん提供
博報堂のある赤坂Bizタワー=南さん提供

自分自身にも反省するところが大いにあります。

部門横断的なプロジェクトの会議などで、参加している女性が自分だけという状況で、別に頼まれたわけでもないのに飲み物を全員分用意したり、資料をコピーしたりしていました。そんな自分が嫌だったんだと思うし、今になって、「もっとこう振る舞っておくべきだった」「私は間違っていた」と悶絶し、時間差で悩み返す時もあります。

ロールモデルの少なさからくる未来の見えなさも、男性優位社会に必死で適応しようとする自分も――。ぼんやりとキャリアに影を落としていたんでしょうね。

これも間違いなく、転職の大きな理由になったと思います。

社会課題に直接アプローチしたいという気持ちと、次の10年をフットワーク軽く前向きに生きていきたいという思い。

それらが掛け合わさりながら、ウェブメディアで編集の仕事ができたらいいな、と思うようになりました。

――ウェブメディアの中でも、どうしてハフポストだったのでしょうか?

ウェブメディアへの転職を考え始めてから、声をかけてもらった媒体で面接を受けたこともありました。

そうすると、私は広告代理店での経験があるので、編集部ではなく、「広告営業でお願いします」と最終的に言われるんです。

記者の経験がない人がキャリアの途中から記者になるというのはすごく難しいし、閉鎖的な世界なんだなと感じました。

そんなときに、大学の友人がつないでくれた縁で、ハフポスト日本版の竹下隆一郎・前編集長に出会ったんです。

初対面でたくさん喋って、内容はほとんど忘れちゃったんですが、唯一覚えているのが「そろそろ書いたことのない人が編集部に入るのもいいんじゃないかなって思っていたんですよね」という言葉です。

それがすごく強烈で、今まで言われたことの真逆をいっていて「面白い!」と感じました。この人が目指すメディアを一緒につくってみたい。そう思ったのが最終的な決め手になりました。

1年くらいずっとくよくよと頭で考えていたから、最後は心でパッと決めることができたんだと思います。

2018年5月、読者にコーヒーをご馳走するイベントを企画したハフポスト日本版の竹下隆一郎前編集長(左端)と南さん(右端)=南さん提供
2018年5月、読者にコーヒーをご馳走するイベントを企画したハフポスト日本版の竹下隆一郎前編集長(左端)と南さん(右端)=南さん提供

「自分のものさし」って? 自分への“解像度”を上げるためにできること

――もともと、広告代理店を志望したのはどういう理由からだったのでしょうか?

「企業の素晴らしい商品やサービスを、クリエイティブの力で届くべき人に届ける」

履歴書にはそう書いていました。だけど、「自分のものさし」で考え抜いた志望先だったかというと、正直自信がないですね。

本当に恥ずかしいのですが、ずっと「世間のものさし」で生きてきていたと思います。人気業種だとか、親や友達が安心する就職先だとか、そういう理由の方が当時は強かったと感じます。

――「自分のものさし」はどう見つけ、その「自分のものさし」でどう判断していけばいいのでしょうか

私もいまだにわからないので、現時点で思うこととして話しますが、やっぱり、答えは自分の中にしかないんですよね。自分への理解、自分に対する“解像度”を上げるのは、すごく大事なことだと思います。

私たちの世代は、SNSの隆盛と呼応して、「夢を仕事にしよう」、「SNSがあればやりたいことで生きていける」みたいなメッセージにさらされてきたと感じます。

だから、私も「夢がない」というコンプレックスに随分悩まされてきました。何者にもなれないし、夢もない、やりたいことも言語化できない。「劣ってる」とすごく思ってきた。

ただ、最近ようやく気づくことができたんです。「私にはやりたいことはないけど、なりたい自分はある」

尊敬する博報堂の先輩によく言われていたのが、「やることよりやらないことを決めろ」「好きなことより嫌いなことに目を向けろ」ということでした。

「これはやりたくないな」とか「これは嫌いだな」ということを整理していくと、「私ってやりたいことはないけれど、“こうなりたくない”があるんだ」ということに気づくんです。

そうすると、すごく楽になりました。「やりたいことがない」ということに劣等感を持っていたけれど、自分にはちゃんと自分なりの美意識があったし、それなりに自分に厳しくできる人間なんだと思えたからです。

自分の好きなことや嫌いなこと、やりたいことややりたくないこと、好きなものや嫌いなもの。とにかく書き出すのはおすすめです。スマホのメモ機能でも、紙でも。文字になった自分の断片を見て、自分を少し客観視できるし、自分への理解が深まると思います。

それから、行動した理由は後になってわかってくることもありますよね。私もハフポストに転職した理由は、後から言語化できました。

時間が後から名前をつけてくれることはあると思うので、焦る必要はないと思います。

――「私はこういう理由でこういう選択をしました」と明確にいま言えなくても、現状を変えてみてもいいのではないか、と

そう思います。

いまは、本当に色々なことが不確実な時代です。右に行っても左に行っても、好きなことをやっていても嫌いなことをやっていても、いつ新たなウイルスが襲ってくるかもわからない。

だから、動き続けた方がいいと思います。動き続けたら、その軌跡は必ず後から言語化されると思います。

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