新聞記者、やめました。永田町を離れ、地元・岐阜で地域おこしに取り組む34歳の決断

新聞記者、やめました。永田町を離れ、地元・岐阜で地域おこしに取り組む34歳の決断

キャリア

足元は、赤じゅうたんから、雑草へ。

黒光りした革靴から、泥はね上等の長靴へ。

セミオーダーのスーツは脱ぎ捨て、量販店の野良仕事スタイルをまとう。ズボンのすそは、靴下にイン。

耳元では、なぞの虫がはばたく。ときおり、視界にまで飛び込んでくる。うっとおしいが、無視を決め込む。

ここは、遊休農地。首相官邸や国会議事堂を闊歩(かっぽ)した日々は、もう過去だ。ここを再び使える農地にするため、いざ、草刈りへ。

「地方創生」「東京一極集中の是正」――。政府の旗振りの下、こうした政策が進められてきました。コロナ禍でリモートワークが広まったことも追い風に、地方移住に注目が集まっています。地方の現状はどうなっているのか。東京にいては見えてこなかった課題とは何なのか。この春から、朝日新聞記者を辞めて地元・岐阜で地域おこしに携わる34歳の河合達郎さんが、政治部や経済部で国の政策や意思決定の現場を取材してきた経験を踏まえ、地方暮らしのリアルな姿を伝えます。

記事を書きながら芽生えた疑問 「自分も地元を捨てた」? 

2021年春、11年間勤めた朝日新聞社を辞め、岐阜県本巣(もとす)市で「地域おこし協力隊」の一員となりました。 

政治部記者時代には「菅義偉首相は〇日、新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言を~」などという記事を書いていました。

通常国会が閉会し、あいさつ回りする菅義偉首相=2021年6月16日、国会内、朝日新聞社
通常国会が閉会し、あいさつ回りする菅義偉首相=2021年6月16日、国会内、朝日新聞社

新聞記事は「逆三角形」。大事なことから先に書く、筋肉質な文章が基本です。

一方、この文章にはいまのところ、大事なことは書かれていない。つまり、ゆるい。生活も立場も変わりました。

自ら設定したスケジュールが、何者かによって左右されることも極めてまれになりました。

北朝鮮がミサイルを飛ばせば、日本のどこかが突然の自然災害に見舞われれば、土日とあれどすぐさま首相官邸や自民党本部に急行、というようなこともなくなりました。

岐阜市の田舎寄りの方で生まれ育った私は、「外の世界を見たい」という理由で記者になりました。

全国各地への転勤を繰り返しつつ、記者としての社会人生活を送っていくんだろうな。深く考えもしませんでしたが、入社前も入社後も、ただ漠然とそう思っていました。

転機は、5年ほど前でした。
 
岐阜市の実家の近くに、大型商業施設が進出してくる計画が持ち上がっていることを、両親から聞きました。広大な建設予定地のなかには、うちの畑も含まれている、と。

この畑では、岐阜県特産の富有柿を育てています。秋が深まると、だいだい色が鮮やかに、ずっしり丸々とした果実がなります。収穫期には、自宅の車庫は「柿庫」と化し、祖父母を中心に出荷のための選別と箱詰めが行われていました。

富有柿の収穫の様子=2015年11月、岐阜県本巣市、朝日新聞社
富有柿の収穫の様子=2015年11月、岐阜県本巣市、朝日新聞社

幼いころの私は、そんな光景をなんとも思っていませんでした。無理やり手伝わされて嫌だったということもなく、かといっていいなと思ったこともなく、「無」。ただただ、晩秋に訪れる日常のひとコマでした。

畑がなくなると聞いてから、だんだんと少しずつ、気持ちは変わっていきました。

ああ、じいさんとばあさんは、夏の暑い日も畑で汗水たらしていたな。

冬になると、自転車のハンドルにモコモコの防寒用カバーを付けて通っていたな。

じいさんがいつも、好物の黒あめの包み紙を畑にポイと捨てていくから、ばあさんがよく怒っていたな。

そんなどうでもいいことまで、なんだか尊いものと感じるようになりました。

「地方創生」「東京一極集中の是正」なんて記事を書きながら、「自分も岐阜を捨てたと見られてもおかしくない立場だよな」と。 

「地元に戻る」という選択肢が浮上しました。

11年間勤めた新聞社をやめた理由 「自分がやらないと、誰もやってくれないのはどちらか」

一方、記者生活にも充実感はありました。

ときの首相や大臣、自民党幹部といった最高権力者の面々に、自らの肉声を通して質問をぶつけることができる。目の前で起きることは、すべてニュースになりうる。緊張感に包まれた、刺激的な日々。

安倍晋三首相(当時)との面会後、記者団の質問に答える自民党の二階俊博幹事長。取材をする筆者(左端)=2019年12月27日、首相官邸、朝日新聞社
安倍晋三首相(当時)との面会後、記者団の質問に答える自民党の二階俊博幹事長。取材をする筆者(左端)=2019年12月27日、首相官邸、朝日新聞社

「外の世界を見たい」と望んだ結果、地球の裏側ほど縁遠かった永田町の現場に流れ着き、得難い経験をしているなという実感はありました。

さあ、この天秤は釣り合っている。どちらをとるか。

決め手は、このものさしでした。

「自分がやらないと、誰もやってくれないのはどちらか」

朝日新聞社は、大きな組織です。入社以来、横浜、長崎、大分、東京・政治部と転勤を重ねてきました。警察担当や行政担当といった持ち場も、ほぼ1年ごとに代わってきました。

それでも、組織は回る。新聞は発行される。「人事異動のため、本日、このページはお休みです」というのは見たことがない。

もちろん、1つ1つの仕事において、「自分だからこそ書けた」という自負を抱いた瞬間もありました。客観的に見て、この人は代えがたい人材だという方もたくさんいます。

一方で、自分自身の中で「歯車のひとかけら感」というような感覚を抱く瞬間があったのも、また事実です。

人材豊富な大組織に対し、自分の田舎からは人がいなくなっている。新たに入ってくる人はほぼいないから、地縁のある人間が出ていけば、代わりはいない。田舎の風景が変わっていくことにさみしさは覚えても、担い手がいないんだからしょうがない。

そんなことに、遅ればせながら気づいた、34歳。

とはいえ、家族は? 家計は? どうなる⁇

逡巡し、強気になるときも、弱気になるときもありました。が、やらねば後悔するだろうと思い、退社することにしました。

こんな報告をお世話になった方々にしたところ、一部で「商業施設進出に、鉄棒振りかざして反対運動するんだ」と思われてしまいました。

勘違いさせてしまい、すみません。

耕作が放棄されつつある現場に担い手の一人として加わり、地元の田園風景を守っていきたいなと考えています。

第三者性と客観性が求められた新聞記者 「自分で解決する」ハードルの高さ

幸い、実家から車で約20分という本巣市から、協力隊としての委嘱をいただきました。

市北部の中山間地「根尾(ねお)」「外山(とやま)」という地域を拠点に活動しています。着任から2か月、遊休農地をお借りでき、これから再生への取り組みを始めます。

活動拠点の岐阜県本巣市。山々と清流に囲まれ、田園風景が広がる=筆者撮影
活動拠点の岐阜県本巣市。山々と清流に囲まれ、田園風景が広がる=筆者撮影

言うは易く、行うは難し。

第三者性と客観性が求められ続けてきた新聞記者の目の前に、「自分で解決してみせよ」という、これまでにないお題が示されました。このフィルターを通した瞬間、1つ1つのハードルはグーンと高く見えます。

「素人のあんたに、何ができんのか」。周囲から向けられる怪訝のまなざしも突き刺さる。

募る焦り。不安。そんな自らに苦笑。 

「自分がやらないと、誰もやってくれないのはどちらか」

信じたそのものさしが、正しかったと言えるよう、きょうも草を刈るのです。

 

(このコラムは月1回掲載予定です)

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