「よしお兄さん」が歴代最長14年も体操のお兄さんを続けられた理由 原動力は「不安と悩み」

「よしお兄さん」が歴代最長14年も体操のお兄さんを続けられた理由 原動力は「不安と悩み」

キャリア

NHK・Eテレ「おかあさんといっしょ」で、第11代体操のお兄さんを歴代最長の14年務めた「よしお兄さん」こと小林よしひささん。2019年の卒業後はタレント、体操インストラクターとして活動中です。「人生100年時代」には、副業ならぬ「複業」の考え方が必要だと小林さんは言います。その心は。

前回は、私が生まれてから「体操のお兄さん」になるまでのお話を書きました。

好きなこと、興味のあることが、自分の仕事につながったのです。

 

今回は「よしお兄さんを14年間続けられたモチベーション」についてお伝えしたいと思います。

NHK・Eテレ「おかあさんといっしょ」の「体操のお兄さん」時代の話です。

イベントに出演中の筆者=写真は特別な表記があるものを除き本人提供
イベントに出演中の筆者=写真は特別な表記があるものを除き本人提供

合格通知から1カ月半、臨んだ初収録

前回お伝えしましたが、「体操のお兄さん」になれたのは、ある意味偶然でした。

オーディションの合格通知の電話を頂いたのは、2005年2月に入ってすぐだったと思います。

大学の研究室で事務作業をしているときでした。

 

「小林さんに次の体操のお兄さんをお願いしたいと思います」

合格を伝えられたとき、かつてないプレッシャーを感じ、体が震えた記憶があります。

 

大学の仕事は2カ月近く先の3月末まであったので、並行して収録の準備を進めました。

瞬く間に1本目の収録の日となりました。

 

1本目の収録は不安や悩みでいっぱいでした。

と言うのも、4月から放送ということは、少なくとも3月半ばには収録しないと間に合いません。

合格通知からわずか1ヶ月半、しかもテレビや芸能の経験はあまりなく、技術やノウハウと呼べるものはほとんど持ち合わせていませんでした。

 

何より、3月時点では自分の出演している番組はまだ放送していません。

このため、収録に参加している子どもたちは「知らないお兄さん」と「知らない体操」をしなければなりませんでした。

当時は今ほどSNSも普及しておらず、体操のお兄さんの交代を知らない家族もいました。

埼玉県警の「1日交通部長」になり、子どもたちに交通安全を呼びかける筆者=2019年、朝日新聞社
埼玉県警の「1日交通部長」になり、子どもたちに交通安全を呼びかける筆者=2019年、朝日新聞社

子どもたちは「楽しそうにしている人」が好き

そんな不安を払拭してくれたのは、子どもたちと、体操が好きだという思いです。

 

収録が始まり、子どもたちと対面した直後は「お兄さん誰?」「いつもの体操は?」と質問する子もいました。

何とか収録を成功させなければと、不安で焦りました。

 

ですが、自分の持っている武器は、好きで続けてきた体操という経験と、体操は楽しいという思いしかありません。

それをフル活用するしかないと気持ちを切り替えました。

 

すると、不思議なことに不安はしぼんでいきました。

そして子どもたちは元気に笑顔で体操をしてくれたのです。

 

これは私の勝手な感覚ですが、子どもたちにとって「そこにいるのが誰か」も大事ですが、それ以上に「その人が今ここで楽しく遊んでくれるかどうか」が大切なのではないでしょうか。

「必死に収録を成功させようとしているお兄さん」より、「楽しそうに元気に体操しているお兄さん」が好きなのだなと感じました。

それを教えてくれた子どもたち、そして「好きなこと」「興味があること」を続けてきた経験に助けられたのです。

 

こうして何とか1本目の収録を乗り越えました。

「おかあさんといっしょ」の歴代のお兄さんお姉さんの中で最長となる14年間の「体操のお兄さん」生活のスタートです。

親子体操のイベントでステージに立つ筆者
親子体操のイベントでステージに立つ筆者

参加できない子、どうすれば減らせるか

この14年という期間について、「続けられたモチベーションは何だったのですか」と聞かれることがよくあります。

確かに14年あれば、「おかあさんといっしょ」の対象年齢である3歳の子どもが高校生になるわけですから、相当な任期だと自分でも驚きます。

 

では、長期間続けられたモチベーションは何だったのでしょうか。

大きかったのは、1本目の収録時にも感じていた不安と悩みです。

 

当初悩んでいたことの1つに、収録に参加できない子の存在がありました。

「おかあさんといっしょ」の収録は子どもたちと一緒に行うため、一般的なテレビ収録とは少し違う方法で進みます。

子どもたちを玄関まで迎えに行ったり、収録時の声かけは全てお兄さんお姉さんが行ったり。

初めて来た子どもたちが楽しく収録を終えて帰れるよう、他にもたくさん工夫が施されています。

 

しかし中には、初めての環境が怖かったり、お母さんと離れられなかったりで、泣いて参加できない子どもも少なくありません。

就任当初は、収録前に「今日はみんな参加できるかな」と不安になり、収録後に「今日は参加できない子が多かったな」などと反省していました。

 

何とか少しでも参加してもらおうと、収録の合間に、泣いている子や親から離れられない子に声をかけました。

ですが、うまくいかないどころか、逆効果になることもありました。

 

そんな矢先、体操部の同期や先輩から「体操教室の人手が足りないから手伝ってくれない?」「障害のある子どもたちのイベントを開くので手伝ってよ」と、声をかけてもらう機会が増えました。

そこには「体操のお兄さん」としてではなく「小林剛久(よしひさ)」として、収録の合間を縫ってお手伝いに行きました。

 

その現場では、子どもたちに圧倒されてしまうこともしばしば。

しかし、肩ひじ張らない普段通りの自分のまま、子どもたちと触れ合えていることに気がついたのです。

そんな経験を重ねるうち、番組収録での自分のあり方や子どもたちとの関わり方を見つめ直すようになりました。

 

これをきっかけに、番組スタッフや当時のお兄さんお姉さんに声をかけ、収録手順などの見直しやリニューアルを提案しました。

すると、泣いて出られない子どもが次第に減っていったのです。

大学生に体操の指導をする筆者
大学生に体操の指導をする筆者

反省と改善の繰り返し、その結果……

「おかあさんといっしょ」の収録は当時年間280本以上です。

参加する子どもたちは毎回収録が初めてですし、いろいろなハプニングもあったので、毎回100%子どもたちが参加できるとまではいきませんでした。

それでも収録のたびに反省と改善を繰り返すことで、泣いて出演できない子どもの数は確実に減っていきました。

 

一見同じようなことの繰り返しですが、こうして不安や悩みを解消すべく反省と改善を繰り返すことで、私も毎回初めての気持ちで収録に臨むことができました。

そして何より、体操の楽しさを子どもたちに伝えたいという気持ちが、体操のお兄さんを14年間続けられた原動力になりました。


今回は、体操のお兄さん時代の話をさせていただきました。

そして、この経験が、私の考える「複業」へとつながっていったのです。

 

14年は確かに長い期間でしたが、番組を卒業してからの人生の方が長いです。

新たなステージへ、充実した人生を送るべく「複業」の準備を少しずつ始めています。

次回は、現在取り組んでいる「複業」の1つである「オンラインサロン」の話を交えながら、私の考える「複業」についてお伝えしたいと思います。

 

(次回は8月中旬掲載予定です)

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