「サッカーもビジネスも一緒だ」。元日本代表・鈴木啓太が見つけた仕事のパフォーマンスを上げる方法

「サッカーもビジネスも一緒だ」。元日本代表・鈴木啓太が見つけた仕事のパフォーマンスを上げる方法

キャリア

18歳で浦和レッズ入団、25歳で日本代表に選出。プロのサッカー選手として16年間プレーした鈴木啓太さん(39)はいま、アスリートの腸内細菌を研究するスタートアップ企業の社長を務めています。フィールドをサッカーからビジネスに変えた鈴木さんに、決断にいたった思いや、新たな道を切り開くヒントを聞きました。

変化の大きな時代に生きる私たちの働き方はより柔軟になりつつあります。あなたは、どう働く? そのヒントとなりうる、新たな分野に“転身”して活躍する方々のいまを伝える企画です。

スポーツ産業を発展させたい。だから、「外」に出てビジネスをする

――2015年のシーズンを最後に34歳で引退。その直前にアスリートの腸内を研究する会社「AuB」(オーブ)を立ち上げました。引退を決意したのは、ビジネスの世界へ飛び込むという思いが強かったからなのでしょうか?
もちろん、子どもの頃からの夢はサッカー選手として活躍することでした。ですが、僕がプロの世界に入った頃は、「サッカーは長くやっても35歳」と言われていました。

だから、「必ずどこかで引退がある」ということはイメージはしていました。「次のキャリア」も当然意識はしていて、現役時代から、いろんな人と話をしながら自分の道を探していました。

そんなとき、所属していた浦和レッズの収益が、2006年~2008年ごろで年80億円弱だった、と知ったんです。

それを聞いて、僕は「そんなもんなんだ」と思ったんです。僕の知り合いが年50億円くらいの収益を上げている会社をやっていました。

でも、僕の知り合いの会社は、業界の中では知られているかもしれませんが、浦和レッズに比べると及びません。浦和レッズって、国民の10人に1人くらいの方には知って頂いているんじゃないかなと思うんですけど、そうすると全体で1000万人くらいにリーチできるバリューがある。でも、「それで80億円なのか」と思ったんです。

インタビューに応じる鈴木啓太さん=東京都中央区、竹下由佳撮影(十分な距離をとって撮影しています)
インタビューに応じる鈴木啓太さん=東京都中央区、竹下由佳撮影(十分な距離をとって撮影しています)

当時、僕は日本プロサッカー選手会の副会長をやっていたのですが、俗にいう「セカンドキャリア」が大きな問題でした。不安に思う選手たちもいるし、社会的な問題になる可能性も秘めていました。

サッカー選手の生涯賃金はどれくらいかというと、平均の現役期間は6~7年間で、当時のJ1の平均年俸が1500万円でした。なので、生涯賃金は9000万円ほど。でも、税金を払って生活すると、ほとんど残らないんですよ。

ずっとサッカーばかりやってきて、20歳でプロになって、26歳でいきなり社会に出されても、何もないわけです。周りに比べ、遅れをとっているんです。

そして、当時トップランナーだった浦和レッズの収益が80億円。これを“3桁”にすること、スポーツ産業をもっと発展させること、サッカー界の環境を変えていくこと――これらをしなければいけないと思いました。

クラブの一員になることや監督になる道もあります。そこからサッカー界を盛り上げていくことはもちろんできるんですけど、それよりも大事なことは、もっとパイを広げていくことだと思ったんです。だからこそ、自分は外に出て、ビジネスをしたい、もっと社会を知りたいと思いました。

別に僕は「社長になりたい」という思いがあったわけではなくて、スポーツ界、サッカー界の課題や選手の次のキャリアの課題、ファン・サポーターの課題。そういったものを考えた結果、「これは必要だ」と思って、いまのビジネスを始めたというだけなんです。

――ビジネスをやりたいから引退する、というわけではなかった?
引退を決めたことと、このビジネスはまったく関係ないです。サッカーはサッカーとして僕はずっと考えていました。

2014年11月、僕は不整脈を発症していました。その年のシーズンが終わった後、浦和レッズと1年間の契約を更新しました。ただ、このとき僕は、「もうこの1年でレッズを離れる」ということは決めていたんです。

自分がどれだけ力になれるかわからないし、自分が「100%」でプレーできない中で、浦和レッズは優勝を争うチームでしたから、そんなところで僕は中途半端にできないと思っていました。

だから、移籍するか、引退するか。オファーもいただいていました。ただ、いくらリーグを落としたとしても、自分のサッカー哲学として、「100%でできないんだったら、ピッチに立つ資格はないな」と思っていたので、引退することを決意しました。

引退試合の際の鈴木啓太さん=本人提供
引退試合の際の鈴木啓太さん=本人提供

アスリートの価値は「エンターテインメント」だけじゃない。“スポーツ×ヘルスケア”とは

――なぜ、アスリートの腸内細菌を研究する会社だったのでしょうか?
30歳くらいになってようやく僕もヘルスケアに対する興味が湧いて、少しリサーチするようになりましたけど、まさか自分がこんなことをやるなんて思ってもいませんでした。

2015年6月ごろ、「腸内細菌のアプリを作っている人がいる」と人づてに聞き、「会ってみたい」と思ったのがきっかけです。そのときは、現役続行するか、引退するか、悩んでいた時期で、引退は決めていませんでした。

それで実際に会って話をしてみると、「アスリートの腸内細菌を調べたら面白いんじゃないか」「じゃあやろう」。そんな形で、会社を立ち上げることになりました。

このビジネスは、別に僕じゃなくて、誰かがやればいい。むしろ、経営するということに関しては、僕がやらない方がいいと思っていました。ただ、僕自身の役割も認識していたので、手伝おうと思いました。

――認識していた役割とは?
アスリートの便を集めることです。

それは、アスリートの便からとれるデータに価値がありそうだから集める、というよりも、僕が幼少の頃から母親に「腸が一番大事だよ」と言われてきて、自分の実体験からも「絶対に腸が大事だ」と理解していたからこそ、アスリートたちに話ができると思っていました。

スケルトン選手でオリンピアンの小口貴子さん(右)に、腸内環境の検査結果を報告する鈴木啓太さん=本人提供
スケルトン選手でオリンピアンの小口貴子さん(右)に、腸内環境の検査結果を報告する鈴木啓太さん=本人提供

――引退後、サッカー関連の仕事に進むという選択肢はなかったんですか?
サッカー関係に進まないというのは決めていました。サッカー関係に携わりたいからこそ、今の仕事もしているんだと思います。

なぜかというと、スポーツ産業を広げたいからです。そのために必要なものは現場のサッカー界以外にもあるなと思っていました。

浦和レッズの「80億円」という数字を見たり、サッカー関係ではない人の話を聞いたりして、サッカーって、世の中としてはまだまだ日常になっていないんだなと思いました。日常にするためにはどうしたらいいんだろうと考えると、「スポーツ×何か」「サッカー×何か」を考えていかないといけないと思いました。

サッカーの魅力って、ライブエンターテインメントで、観客を楽しませることじゃないですか。でも、楽しませること以外にも、スポーツにはできることがいっぱいあると思っています。

観客動員数が減っていた2013年、サポーターと話をしたことがあります。「スタジアムに来てくださいよ」と言うと、「お前ら勝たないからだよ」と言われるかなと思ったんですけど、「Jリーグが始まって20年が経つ。俺は40歳だったのがもう60歳。疲れちゃうんだよね」と言われたんです。

そこで「ヘルスケア」の大切さも感じました。アスリートの持っている価値は、エンターテインメントだけじゃなくて、コンディションの整え方や、身体的なデータにもある。これが、地域の人たちやファン、サポーターの健康につながっていけば、選手たちのデータが自分の健康に役立っているんだと思ってもらえたら、もっと応援してあげようと思ってくれるかもしれない。「スポーツ×ヘルスケア」だ、と思ったんですよね。

「サッカー選手になった」経験があったからこそ、飛び込めた

――サッカーを離れるさみしさや「もっとできたのかな」という思いはなかったですか
31歳から、引退する34歳までの4年間、すごく楽しかったんですよ。多分プロになってから、一番サッカーが上手くなって、一番サッカーが楽しかった時期なんです。

もしかしたら、それを感じてしまったからこそ、「辞める」という決断になったのかもしれないですね。

もちろん、「楽しんでやる」ということは大事です。とはいえ、プロは楽しいだけじゃダメだと僕は思っていて、厳しさや自分を追い込むこと。すべてひっくるめて、「楽しい」というところまで最後にいけました。なので、満足とは違うんですけど、ある種納得できたというか。

ポジティブに、「十分サッカーを楽しませてもらったし、ファン・サポーターを含めて、サッカー界から十分に恩恵をいただいた」と思っています。感謝の気持ちで辞められたというのが大きかったかもしれないですね。

今思えば、もうちょっとやっててもよかったかなって思うときもありますよ。同い年の阿部勇樹選手が浦和レッズにいますが、彼が先日フリーキックを決めていて。それを見たときに、同期で頑張っていて、すっごい嬉しい気持ちと、いいなあっていう気持ちもあります(笑)。

インタビューに応じる鈴木啓太さん=東京都中央区、竹下由佳撮影(十分な距離をとって撮影しています)
インタビューに応じる鈴木啓太さん=東京都中央区、竹下由佳撮影(十分な距離をとって撮影しています)

――2016年1月に引退会見をした後、「サッカー選手でビジネスの経験もないのにうまくいかない」と言われたこともあるそうですが、浦和レッズという組織を離れることへの不安などはなかったのでしょうか
なかったですね。それは、無知だったからですね。

サッカーも一緒なんですよ。子どもの頃、「サッカー選手になりたい」って言うじゃないですか。子どもたちはなぜそう言えるかといったら、どのくらい大変なのか、知識がないですよね。

僕も「お前なんてサッカー選手になれないよ」と言われてきたんです。もちろん「なれるよ、頑張れ」と言ってくれる人もいましたが、僕よりもうまい子がたくさんいましたから、「いやいや、そんな」と言うわけです。

高校サッカーに打ち込んでいた当時の鈴木啓太さん=本人提供
高校サッカーに打ち込んでいた当時の鈴木啓太さん=本人提供

でも僕は「今に見てろ。なってやる」と思いました。で、なったんです。だから、サッカー選手になったことない人が「なれない」って言うのは、参考にならないです。もちろん、運もあるし、練習もしっかりやらないといけない。条件はあるけれど、なれないことはない。

サッカー選手になった人間は、「なれる」ということを知っています。だから僕は、「サッカー選手になった」という経験があったからこそ、ビジネスがうまくいくか、いかないかは別として、「どうなるかは誰もわからないでしょ?」と思っていました。

1 2