外務省職員から28歳で市長に。最年少で市長になった東修平がいま同世代に伝えたいこと

外務省職員から28歳で市長に。最年少で市長になった東修平がいま同世代に伝えたいこと

キャリア

外務省職員、海外でのコンサルタントを経て、28歳で地元の大阪府四條畷(しじょうなわて)市の市長に就任した東修平さん(32)。外務省を辞め、地方の首長になるという決断にいたった背景やキャリアについての考えを聞きました。

変化の大きな時代に生きる私たちの働き方はより柔軟になりつつあります。あなたは、どう働く? そのヒントとなりうる、新たな分野に“転身”して活躍する方々のいまを伝える企画です。

外務省入省1年目で亡くした上司。地方に飛び込む背中を押してくれた

――28歳で四條畷市長選に立候補。なぜ市長になろうと思ったんですか
「市長になりたい」と思って市長になったわけではないんです。

もともと外務省で働いていたのですが、経済連携課という部署にいました。当時扱っていたのは、TPP(環太平洋経済連携協定)をはじめとした、多くの国との経済連携協定でした。

世界の枠組みやルールをつくる。貿易のあり方を考える。もちろん結果として日本も良くなっていく。ですが、なかなかそれが国民の幸せや国民の利益にどうつながっていくのかを肌で感じるのは難しい部署ではありました。

外務省職員時代の東修平さん=2016年4月、本人提供
外務省職員時代の東修平さん=2016年4月、本人提供

そんな中で、ちょうど入省した2014年ごろから「地方創生」という言葉が聞こえてくるようになりました。新しい地方の時流ができていくことで、地方が元気になっていき、結果として国が良くなっていく。

国を良くするのにも複数の道があると思いました。「国」にいるのもとてもやりがいがあって、面白いなと思う瞬間もたくさんあったのですが、「地方をよりよくしていく」ためのキャリアを考えるようになりました。

僕の中では外務省でも、今の仕事でも、人々のより良い生活や環境を整えていくということをやっているつもりなので、やることが変わったという認識はないんです。

――地方のために働くと決意したきっかけは何だったのでしょうか

背中を押した一番大きな理由は、当時の直属の上司だった経済連携課長が、当時49歳で突然亡くなられたことでした。

非常に優秀で、尊敬していた方でした。普通は、入省1年生と課長はあんまり仲良くなることはないのですが、同じ京都大学で原子力工学を学んでいたこともあり、よくランチなどに誘って頂いていたんです。本当にショックでした。

そんな方が49歳という若さで亡くなってしまう。自分が何かこの国のために役割を果たそうと思ったら、逡巡して足踏みをするよりは、飛び込んでいかないと貢献できないんじゃないかという思いに至りました。入省1年目が終わる3月のことでした。

――その後、外務省を辞めて野村総合研究所インドに転職しました

まずはマネジメントを学ぶことで、より貢献できるようになるんじゃないかと思って民間企業に転職しました。

当時、野村総研インドは立ち上がったばかりで、日本人コンサルタントはほとんどいませんでした。なので、入って3ヶ月でも例えば3年目ぐらいの仕事を任せないといけないような環境だと聞き、短期間でたくさん学べるのではないかと思い、決めました。

野村総合研究所インドで働いていた当時の東修平さん=2017年8月、本人提供
野村総合研究所インドで働いていた当時の東修平さん=2017年8月、本人提供

ただ、インドに渡航した直後、父が病気になってしまったんです。自分の地元に戻る機会が増えたことで、地域の実情を知ることになりました。「このままだと自分の生まれ育った故郷が、落ち込んでいって、回復するのにも時間がかかってしまうんじゃないか」と思うようになりました。

――どういうところに地元の課題を感じたのでしょうか
日本出張に合わせて父の見舞いに行きながら、地元の同級生にも会っていました。たまたまなのですが、会う人、会う人が「最近、四條畷は元気ないんじゃないか」という話をしていたんです。

そこで、私も官僚をやっていましたし、野村総研にもいたので、さまざまな資料を調べるのがなりわいみたいなものだったので、四條畷市の計画やデータ、全国の都市の比較資料などを、バッと調べました。

そうすると、たしかに四條畷市は15歳未満の子どもの数など、さまざまな指標でよくなかったんです。

でも、決定打となったのは、私の一つ上の学年の先輩で、四條畷市役所で働いている方との会話でした。四條畷生まれ、四條畷育ちの方です。一緒に食事をしているとき、「今度子どもが生まれるから家を買おうと思う」「でも(四條畷)市外に買おうと思う」とおっしゃったんです。

そのときに僕は「これは危機的だな」と思ったんです。生まれ育った街って一番愛着があるはずで、かつ四条畷市役所で働いているのに、住むのはよその街にする。そんな街に僕は未来があるとはとても思えませんでした。

そんな時、市長選も「無投票再選だろう」と言われていました。四條畷市が落ち込んでいるなかで、無投票再選ということは、たった4年に1回しかない市民が自分の街を考える機会がなくなってしまう。その機会さえ失われてしまうのはよくない。なので、誰も出ないのであればもう自分が出るしかない。

当時はそういう考えになり、立候補を決めました。

民間出身の37歳女性を公募で副市長に。「市役所も多様であるべき」

――外務省で経験したことと、インドで経験したことで、今に生きているものはありますか?
外務省にいたのは1年と少しですが、当時関わっていたTPPは国家的に大きな案件でしたので、重要案件のときの省庁の動きを知ることができたのは大きかったと思います。

野村総研インドのときは入った直後から、インドの大きな財閥系の会社の社長を相手にプレゼンテーションをしなければいけませんでした。顧客にとって何が一番いいのか、徹底的に考えました。いまでも政策などを考えるときに生きているのかなと思います。

ただ、実務的なことを理解していたことは市長として役には立ったんだろうと思うのですが、それが必須だったかというとそういうわけではないんだろうなとは思います。

日本の法律では、満25歳以上は市長になれると規定されていますよね。法律制定以降、国会で改定の機会はいくらでもあったわけですが、「市長は25歳からやってもいい」ということは変わっていません。

もし何らかの経験が必要なのであれば変わってきているのではないでしょうか。あまり気負いすぎる必要はないんじゃないかなと思います。

――どんな経験をしてきても、市長の仕事には生かせる?
市長って、1人で仕事をするわけじゃないんです。私には政治的なつながりや、社長として何かを経営してきた経験みたいなものはないです。ですが、市役所の中には、長い年月かけて多くのスタッフをまとめてきた職員もいれば、政治的なつながりに理解がある職員もいる。

市長として、いろんな経験を得ている必要なんて全くないと思っています。職員や市民のみなさんの力を結集させられるか否かが大事なんだと思います。

――自身のnoteで「なぜ10万円の給付に時間がかかるのか」について解説したり、リクルート出身の子育て中の女性を公募で副市長に選んだりするなど、話題になりました
副市長は当時37歳で、民間出身。かつ、住んでいるところは東京でした。四條畷市出身でもない。引っ越してきてもらいました。

これからの市政というのは職員やスタッフが多様であるべきだと思います。住民のみなさんは、いろんな課題を抱えていたり、ジェンダーもさまざまだったり、本当に多様です。

そんな中で、市役所の職員はほとんど新卒で市役所に入って30-40年働いて、部長になる。しかも、四條畷市の場合は、部長も次長も全員男性。非常に偏ってるんです。

行政経験が長い、同じ性の人しかいない。年齢もほぼ一緒。これはあまりに偏っているんですよ。市民の皆さんの多様性に応えるには、我々マネジメント層も多様であるべきだというのが出発点でした。

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