日米首脳会談の「影の立役者」、首相通訳とは? 外交の鍵を握る「マネジャー」の裏側を聞いた

日米首脳会談の「影の立役者」、首相通訳とは? 外交の鍵を握る「マネジャー」の裏側を聞いた

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アメリカを訪問している菅義偉首相は4月16日(日本時間17日)、バイデン大統領と会談しました。この首脳会談の場で、橋渡し役となるのが「首相通訳」です。首相の考えや思いを的確に相手に伝えなければならない、この「影の立役者」はどんな役割を担っているのか。元外交官で、アラビア語の首相通訳を務めた三菱総合研究所主席研究員の中川浩一氏に聞きました。

単なる「翻訳」ではない。首相の“分身”であるべき通訳

――当然首相の発言を正確に伝えることが重要だと思いますが、首脳会談の場で首相通訳はどのような働きをしているのでしょうか

単に首相の発した言葉を翻訳する、というわけでは決してありません。

そうであれば、やがて人間としての通訳は不要になり、AIに淘汰されるでしょう。それでは、なぜ通訳を優秀な外交官が務めるのかというと、今回であれば日米首脳会談で話される政策の中身を完全に理解しなければならないからです。この政策の中身のことを、外交用語で「サブスタンス」と言います。

元首相通訳の中川浩一・三菱総研主席研究員=竹下由佳撮影
元首相通訳の中川浩一・三菱総研主席研究員=竹下由佳撮影

その上で、菅首相が話した日本語を、単なる翻訳ではなく、自分の言葉として、もっとも適切な単語や表現でバイデン大統領に伝えていく。つまり、首相通訳は、首相の「分身」でなければいけないのです。

一語一句を丁寧に訳す場合もあるのですが、首相が何を思って発言しているのか、意図をくみ取り、その思いに沿った言葉を選ぶ必要があります。

両者の会話が友好的なムードであれば、通訳もその場に合った言葉で訳します。緊迫した場面では、通訳の声のトーンも変わります。まさに、その会談を仕切る事実上の「マネジャー」なのですが、決して「でしゃばる」という意味ではありません。

たとえば、首脳会談の冒頭にはメディアの取材や写真撮影があります。そのような場面には通訳は映りこまないようにしますが、会談が始まるとさっと入って通訳をし、取材をされている方にも聞こえるよう意図的に大きな声で話すなど、気配りや機転も必要です。

首相通訳になるには「勝ち残り方式」。レベルごとの会談で評価される

――「優秀な外交官が務める」とのことでしたが、外交官の中でも首相通訳はどうやって選ばれるのですか?
日本の首相と各国の首脳の会談、いわゆる「首脳会談」の通訳を担っているのは外務省の職員です。外務省は、新入省員に44の専門言語を割り当てるのですが、海外での語学研修の成績、海外の大使館、東京の本省での通訳実績、評価などを踏まえ、それぞれの言語の中でもっとも優秀な者が、その言語の首相通訳になります。

今回の場合は、相手がアメリカですから「英語」で最も優秀な職員ということになります。

大統領就任式で宣誓した後のバイデン氏=2021年1月20日、アメリカ・ワシントン、朝日新聞社
大統領就任式で宣誓した後のバイデン氏=2021年1月20日、アメリカ・ワシントン、朝日新聞社

若手の職員は、海外での語学研修を終えた後、最初は若手の国会議員の通訳などで経験を積み、その後、政務官、副大臣、そして外務大臣と徐々にレベルアップしていきます。

上のレベルに上がるには勝ち残り方式なので、1回1回の通訳の評価が物を言います。首相通訳はその最高峰で、外交官としても最高の名誉です。

――1回ごとの通訳の機会に、きちんと結果を出し続けることが重要なんですね
日本の外交官が外国の要人に対し、どれだけレベルの高い外国語を見せられるかは、日本がその国、地域をどれだけ重視しているかの象徴であり、相手国からの試金石なので、外務省の通訳は、言葉で国益を背負っています。

首相通訳はその中でも、最も重大な責任を「個人」で負うことになります。その意味で、外務省は、「個人」の能力が最も問われる官庁だと思います。 

語学力だけではなく、日頃からニュースをチェック。常にアンテナを高く張る

――首脳会談に向けて、首相通訳はどんな準備をしているのでしょうか
まずは、首脳会談の日時がおおよそ固まった段階で、首相周辺からの評価も踏まえ、外務省の上司を通じて指名を受けるわけですが、指名を受けるのは、大変名誉なことであると同時に、重大な責任も負うことになります。

私も、初めての首相通訳の出番は、2002年、エジプトの国務大臣が小泉純一郎首相を表敬するときだったのですが、それまでに日本の外務大臣レベルまでは実績を積んできたので、いつ声がかかるか待ち望んでいました。

小泉純一郎首相とアブルナガ・エジプト外務担当国務大臣の通訳を務める中川浩一さん(肩書はいずれも当時)=2002年12月、首相官邸、中川さん提供
小泉純一郎首相とアブルナガ・エジプト外務担当国務大臣の通訳を務める中川浩一さん(肩書はいずれも当時)=2002年12月、首相官邸、中川さん提供

いざ指名を受けたときは、嬉しさと同時にやはり責任を感じました。その後、首相通訳として何度もアラブの首脳たちとの首脳会談を担当しましたが、大事なのは、いつ出番が来てもいいように、日頃から、語学力の維持、向上に努め、担当語学でテーマとなりそうなニュースについては、いつもアンテナを高く張っていることです。

実際に、首脳会談の日時が決まると、一流のスポーツ選手と同様、本番に向けて、体調をしっかり管理し、集中力を高めていきます。

一応、外務省の担当部署が首相のために、発言するポイントや、想定される相手側の質問に対する日本側の回答なども作成しますので、首相通訳は、最低限その内容は頭に入れて、瞬時に訳せる準備をします。

ただし、首相がそのとおり発言するかはその首相のスタイルにもよります。首脳会談の直前には首相向けの勉強会が開催されるのが通例で、そこには首相通訳も同席するのですが、首相の意向や、当日の国際情勢を受けて発言内容が加わったり、修正されたりすることもあります。

直前で専門用語が思い出せないことも理論的にはありえますが、最後は、自信をもって、やりきる覚悟で本番に突入していきます。そういう意味では、パフォーマー(役者)としての能力も必要です。

――首脳会談という大舞台でも、緊張せずにパフォーマンスをするにはどうしたらいいのでしょうか?
いかに事前の準備を徹底しても、本番では想定外の事態はつきものです。

首脳会談の通訳を務めるまでには、相当な場数を踏んできています。その1回、1回で、自分のパフォーマンスを細かく反省し、次の機会にそれを克服できるようになれるかが大事だと思います。

想定外の事態への、緊急的な対処法もその過程で学んでいかなければなりません。最終的には、大舞台になればなるほど、それまでの積み重ねが自信になり、「失敗」する自分がイメージできなくなります。

事前準備、当日のパフォーマンス、周囲への感謝。ビジネスパーソンにも必要な力

――中川さんはいま、中東と日本をつなぐビジネスパーソンでもあります。首相通訳の経験はどういまに役立っていますか?
外交官もビジネスパーソンも、「営業が仕事」であることは変わりありません。自国、自社の「商品」の強みは何かを洗い出し、それを相手国・取引先にいかに売り込むかが問われています。

そのためには、自社の「商品」価値を高めることや徹底的に勉強すること、取引先や交渉相手に関する入念な情報収集・分析が不可欠です。そしてそれを、プレゼンや交渉のビジネス本番でいかに発揮できるかも問われます。

また、「一戦必勝」の姿勢も重要です。重要な顧客ほど、1回の失敗が許されないと考えた方がよいでしょう。私は、首相通訳の経験で、本番での集中力、どんな場面でも動じない胆力を養うことができたと思います。取引先、交渉先のレベルが上がったときにも自信をもって対応できるようになりました。

――4月に新社会人になったビジネスパーソンにとってはどうですか?
首相通訳は、組織にたとえれば一見「花形部署」のように見えます。新社会人や、若手のビジネスパーソンは、いつかは「花形部署」での勤務を目標にされている方も多いと思いますが、そのためには、血のにじむような努力、準備が必要です。

また、首相の発言の元となる資料は、ましてや日米首脳会談ともなれば、まさに最大の国益(会社でいえば社運)をかけて、いろんな関係者の思い想いが詰まっているものです。

ですので、その資料を作成した人たちに感謝の気持ちを持つことが大切で、花形部署が、いかに周りに支えられているかということを自覚することも必要です。

また、首相通訳がする「首脳会談」への準備の仕方や周囲への配慮は、新社会人の方が、はじめて社内でプレゼンを行う際の参考にもなると思います。

社会人は楽して成果を得たり、一人で何かを成し遂げたりすることは決してできないし、逆に苦労して、周りからのプレッシャーに耐えて成果を出したときの達成感は何物にも代えられない喜び、やりがいがあります。

これが仕事の「醍醐味」。でもそこに至るには地道な、「一戦必勝」の準備と努力が必要なのです。なので、新社会人の皆さんは、それを十分意識して、まずは与えられた一つ一つの仕事を大切にしていってほしいです。まさに「千里の道も一歩」からですので。

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