イタリアの大学院でMBAを取得。ルイ・ヴィトングループ「ロエベ ジャパン」のカンパニー プレジデント & CEOを経て、スターバックス コーヒー ジャパンのCEOに。華麗な経歴とともに、ブランドビジネスの本質を知る水口貴文さん(54)が語った若手ビジネスパーソンに向けたアドバイスとは。bizble編集部が聞きました。
ビジネスの最前線で活躍するリーダーたちはどんな若手時代を過ごしたのか。さまざまな分野のリーダーに「若手時代をどう過ごしたか」「いま若手なら何をするか」を語ってもらうインタビュー企画です。
ブランドの“価値”を教えてくれたきっかけ
――若手時代(20~30代前半)に経験して、いまのスターバックス コーヒー ジャパンCEO業務に生きていることは何でしょうか。
実家が靴の製造・販売会社でした。
若手時代、20代後半から34歳くらいまでは、実家の会社の立て直しをしていました。
経営が厳しいときに入ったので、資金繰りをしたり、リストラをしたり。毎年そういうことをやりました。
すごくつらい時期で、会社として雇用を守れなかった。
3月決算の会社だったので、12月くらいから労組との交渉が始まります。だから今でも冬が嫌で、トラウマになっています。
そうした環境で思ったことは、会社はまず利益をしっかりと出さないとダメだということです。
ビジネスとして勝てるモデルがあって、みんなで目標に、未来に向かって進んでいけないとほんとにダメだと実感しました。
会社は利益を出して人を成長させる場所
リストラをするときに、私から靴の職人さんに直接言わなきゃいけないんです。例えば30年間、ずっと同じ仕事をしつづけてる職人さん。
その業務については、すごくうまいんです。例えばのりづけ。そうした点はとてもプロフェッショナルなんです。
しかし、経営が苦しいときは色々なことができる多能工が求められます。なのでそういった特定分野しかできない人がリストラのリストに上がってきてしまう。
60歳近い方々が多かったですが、そうした状況に接して、会社は本当にこの人たちに向き合ってきたのかなと思いました。
職人さんの多くは頑固なんです。でもそうした人たちに多様な業務にチャレンジする機会を提供する責任が会社にはあるんです。
会社は利益を出して人を成長させる、いろんなスキルを身に着けられる場じゃないとダメなんだなとその経験を通じて思っています。
すべてがつながりブランドになる
もう1つ、今考えると大きな間違いでしたが、職人さんと話すときに、
「靴の中底に入っているコルクをちがう素材に替えて200円安くならないか」
という話ばかりしていました。
実家では結構高い靴を作っていました。2万円を超えるような紳士靴がメインです。
そこでコストを下げようと職人さんを飲み屋に連れていき、カラオケに連れていき、話し合いをする。
ですが、職人さんは基本的にいいものを作りたい方たちです。クオリティを上げたい方たち。
それにもかかわらず私が提案していたのはクオリティを下げることばかり。
そのあとルイ・ヴィトンやスターバックスをみてわかったのは、ブランドの“価値”はモノだけではないということです。
ルイ・ヴィトンの靴は、実家が作っていた靴と比べて3倍~4倍、下手したら5倍という値段で売られている。
「どこに違いがあるのか」というと、モノだけではなくて、モノの後ろにある歴史だったり、人のストーリーだったり、パッケージだったり、売る場所だったり、そこで流れている音楽だったり、接客だったり。すべてがつながって価値を上げているんです。
だから値段は何倍にもなる。
きちんとモノの後ろにあるストーリーを語ってブランドを作ることが、究極的に言うと、作っている人を守ることになると思いました。
こうした若手時代に経験したことが、今も私の大きな軸になっています。
スターバックスのビジネスモデルは、ブランドをきちんと作って、みんなで大切にコーヒーを一杯一杯売る。コーヒー一杯は少し高いですが、その分高く豆を買うことができる。そうすることで世界中のコーヒー農園が回ることができる、というものです。
私がスターバックスに入社したのは、このビジネスモデルに対してすごく大きな共感があったからです。
多様性を感じたイタリア時代
――若手時代にチャレンジしてよかったと思えることは。
チャレンジというより、色々な価値観の人たちと関わりを持てたことですね。
実家が靴屋だったので、イタリア人のデザイナーが実家に寝泊りしていました。
なので、割と若いうちから、色々な人に会ったり、海外に出たりして、多様な価値観に触れました。
20代半ばで行った大学院も、あえてアメリカでなくイタリアに行くという選択をしました。
イタリアといっても、大学院は世界中から人が来るので、価値観も多様でした。イタリア人とイギリス人は喧嘩していたし、カンニングする人はいるし(笑)
そのあとルイ・ヴィトングループに入って、フランスに行きました。フランスのチームは7人くらい。私以外全員女性でした。
そういったバックグラウンドなので、私は自分の中に他の人に対してバリアがないかもしれません。
ずっと自分の母親が働いていましたし、女性が働くことが当たり前の環境にいました。
ルイ・ヴィトングループのデザイナーには、いろんな年代やルーツ、LGBTQの方も多くいました。それが普通のことでした。
どこの国出身とか、性別とか、特徴とかはあまり興味がなく、それよりもその人がどんな人なのかに興味がありますね。
ただ、文化や価値観が違っていても、人として共通することもありました。
例えば、イタリア時代のクラスメートですごい素敵なカーディガンを着てた女性がいました。
私が彼女に
「素敵だね」
と伝えたら、
「おばあちゃんのなんだ」
と教えてくれて。
おばあさんのものをお母さんが着て、お母さんが着たものを娘が着ているんです。日本の着物のように受け継がれているんですね。国も文化も違うけど、そういうところに共通点があるということがいいなと思いました。